交流文学論<第10回>
言語と革命
- クリステヴァ(1941-)
- 主体とは何か
- どこが「革命」か
フロイト
- ジークムント・フロイト(1856-1939)
- オーストリアの精神学者
成長する/しなければならない動物ー人間
- 子供を大人を大人にするメカニズム
- エディプス・コンプレックス
ラカン
- ジャック・ラカン(1901-1981)
- フランスの精神科医、哲学者、精神分析家
- フロイト+ソシュール
- 無意識も差異の体系
メタファーとメトミニー
- メタファー(隠喩)は等価でわかりやすく、語ることができ。満足しやすい(誘惑)
- メトニミー(換喩)はメタファーに隠れがち
無意識もメトニミー
- 言語は差異の体系(ソシュール)
- いつまで経っても「本質」にたどりつけない
- たらいまわしされるばかり
- 「構造」があるだけ
想像界、象徴界、現実界
- 用事も発達初期段階で自他の区別がつかない状態(想像界):必然
- 幼児が鏡の自分をみつめて「鏡像段階」による自己イメージ発見
- 周囲との差異、類似に気付いた状態(象徴買い):妄想
- 自我と無意識のはざまで、言語という記号表現を受け入れた結果、欠如が停留した状態(現実界):混沌
ラカンの欲望
- 言語はメトニミー的たらいまわし
- 欲望はこうしたぴったりしないという「欠如」から生まれる
- 言語とは
なぜラカンか
- フロイトの「父」からラカンの「母」へ
- ※女性差別の先入主をさぐるフェミニズム
- ラカンの言葉
- “ラカン主義者になるのは勝手、でも私はフロイト主義者”
ジャック・デリダ(1930-2004)
- アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人哲学者
- 現象学(5章)から出発し、脱構築(ディ・コンストラクション)へ
中心や保証はない
- 西洋思想は中心原理に頼ってきた
- 体系内のどちらかの極しかない
- 西洋思想に共通する言語の優劣
- しかし、話し言葉はすでに書かれている
書き言葉の特性
- 反復されうる
- 読みうる
- 空間どりに従う
- 他の記号と切り離されている
- 指示対象から切り離されている
言語行為論と観光
- 観光体験によって促されるもの
- 事実確認的結果(constative)
- 「これはこういうものだ」「このような事実がある」
- 行為遂行(performative)的結果
- 「こうせよと促す、唆す」「真実としんじさせる」
- 観光という言語によって行為遂行しているといえないか?
読者中心の理論
- テクストが何を意味しているかではなく、テクストが読者の心にどのように働きかけるか
- 観光研究との親和性の高さ
読者の「経験」
- テクストの意味は読者の経験
- 印象、読後感ではない
- テクストによって誘発される反応すべて
- むしろ独語の整理された解釈と異なる
- ※それらの反応をすべて人に伝えることは不可能
テクストと意味
- テクストが自立して存在することへの批判
- テクストに意味が内在し、読者がそれを取りだすという手順ではない
- 作者の意図は意味を止める「釘」ではない
読者の経験の内容
- ある程度確実な予測
- 予測の的中
- 予測のはずれ
- テクストに登場する人、事物への気持ち
- そうした気持ちの修正、疑問
構造の網の目
- テクストには読者を導く構造の網の目が張り巡らされている
- 網の目は「選択」と「結合」でできている
- 読者は網の目をたどって意味構成を行う
- 最後に読者の中に一貫した意味が浮上
意味の形成過程
- 読者とテクストの相互作用によって進行
- 読者をテクストに巻き込んでいくきっかけ
- いずれも読者によって異なる
反応から解釈へ
- 反応を言語化することによって解釈が生まれる
- 読者は自分の属する時代、コード、慣習、経験を結びつけて解釈する
解釈共同体
- テクストの意味が読者個々人にあるのに、どうして同じような解釈が出てくるのか?
- 個々の読みと解釈は、特定の共同体の中で行われる
- 個人に先行する複数の共同体の存在