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10/07/23/3

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確認事項

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バイトの紹介

谷根千

  • 7/29
  • 地域雑誌『谷根千』より命名
  • 個々にテーマを持って臨むと良い
    • ex)テーマ「建物」

富士登山

  • 七合目までは良かった
  • それ以降全体のペースやテンションが漸減していった
  • 体力と年齢は関係ない

海外合宿

  • 16日のトレッキング後、恋人岬へ向かう

当ゼミの研究分野について

  • 観光文化学
    • 文化としての観光について研究
      • 文化とは「価値体系」と「技術」
    • 観光学科は「ビジネスとしての観光について研究」
  • 就職活動の際、よく聞かれる
    • プロジェクトリーダーは全員「ゼミ長」としてアピールすれば良い

講読

「新婚バス」という仕掛け

  • 「南国」宮崎の仕掛けを開発した中心人物に岩切章太郎氏がいる
    • 戦前戦後を通じて「宮崎県観光の父」と呼ばれる大活躍をした
  • 岩切氏の創業した宮崎交通は定期観光バスの運行を開発
    • 乗客の大半は新婚旅行客で、彼らは何かを見物することよりも「新婚旅行すること」を第一目的として宮崎を訪れていた
    • 宮崎の新婚バスに要求されていたものは、京都や東京など他所の定期観光バスとは異なっていた
    • 珍しい史跡や他では見られない名所を紹介するガイドよりも、定番の観光地をアリバイ的に一巡するコース設定と幸せなムードを移動中の車中で演出できる優秀なガイドを提供したのが宮崎交通の新婚バスであった
  • こうして60年代の宮崎は、新婚旅行の国内シェア一位を独占し続けた
    • 同時期に観光開発が始まったグァムでは、「南国」宮崎に集中していた新婚旅行客を誘致することが検討されていた
  • 新婚旅行客は観光地を見物するために旅行するのではなく、ただ「新婚旅行するため」にどこかへ行く。そのどこかは「どこでもいい」
  • 1960年代の宮崎で開発された南国観光のイメージと新婚バスに代表される新婚旅行の文法は、海外渡航の自由化と団塊の世代の結婚ラッシュを原動力にして、海外にも輸出された。その最初の受け入れ先がグァムだった。そこには「南国」イメージそのままの「青い海、白い砂」が広がり、日本語を話すガイドが同乗する新婚バスを走らせる条件が整っていた
    • もちろんグァムが新婚旅行の集客に成功した背景には、日本から三時間あまりで着く近さと、一時間の時差という地理的条件もあった
  • 宮崎が集めていた新婚旅行客のすべてをグァムが吸収したとはいえず、ジャンボ・ジェット機が普及して飛行運賃の低廉化と飛行時間の短縮化が実現すると、やがて日本人の新婚旅行は宮崎やグァムを飛び越えてヨーロッパやオーストラリアなどへ向かうことになった。
    • 「どこでもいい」新婚旅行客は、グァムから別の地へ移っていった
    • そうして80年代のグァムからは新婚旅行客が消え、別の姿をした日本人たちが現れはじめる
    • グァムには60年代末から新婚旅行の文法で開発された観光資源が残ったが、それはシンボルとなる見所も必見の伝統文化も定番の地元料理も土産も持たない、それでも年間100万もの日本人が訪れる「楽園」の始まりであった

編集され再編成された「グァム」

  • 1970年に日本で製作されたグァムのガイドブックや旅行広告を見る
    • 「ジャルパック」や「ルック」など有名パック・ツアーで行くグァム観光の場合、ほとんどの商品が三泊四日で設定されている
    • 旅費は利用する航空会社やホテルに応じて異なるが、三泊四日で一人あたり7万から10万円
      • 1970年の南九州への新婚旅行が四泊五日で10万円前後、ハワイが六日間で25~30万円ほど
    • 南九州と同額程度あるいはハワイの半額以下で憧れの海外新婚旅行を実現できたのがグァムだった
  • 定番の観光名所をたしかに効率よく案内する新婚バスは、日本人観光客をホテルから連れ出し、限定的ながらグァムの文化や歴史に触れさせる役割も果たしていた
    • 新婚バスが訪れた場所は、有史以前の遺跡やスペイン統治時代の旧地ばかりで構成されており、「大宮島」や太平洋戦争の記憶を喚起させる場所や、巨大な米軍基地の存在は、予め排除されていた
  • たしかに新婚旅行で慰霊公苑や米軍基地にいくことを期待するのは、少し酷かもしれないが、グァム政府が60年代の「基本計画」に則って新しく開発した公共ビーチも訪問地に入っていないのはなぜか
  • 新婚バスを走らせた日本の観光業者は、グァム政府の「基本計画」やグァム住民の慰霊観光とは無関係なグァムを自分たちの手で編集して構成し、日本人観光客たちに提供していた
  • そうして日本の観光業者が提供する新婚バスに乗る日本人の視野からは、「大宮島」時代の記憶も、ベトナムで凄惨な戦闘を続けていた米軍の現状も、その島で生活しているグァムの人々の存在も、きれいに排除されていた。日本人が三泊四日のグァム観光で見たものは、事前に日本の映画や広告写真で観たのと同じ「青い海、白い砂」であり、取捨選択され編集された「グァム」だった。

タモン湾の集中開発

  • 日本の観光客が増えたのは日本直行便が飛んだ1967年から
    • 航空会社の競争は激化
    • 1970年ジャンボ・ジェット登場
    • オイルショックにより団体割引などの各種割引制度が登場
    • それにより若者に海外旅行の道を開き、日本の観光客急増
  • ホテルの建築
    • この時期建てられたホテルのほとんどが日本の資本によるリゾートホテル
    • ただし最初の建設はヒルトン
  • 日系ホテル
    • 第二のハワイを目指す
    • 近代的な高層ホテル
    • グアムの風土とは無関係な設計と構造をもつ効率性を優先した建造物
    • できる限りワイキキ風の演出を提供
    • タモン湾を「西ワイキキ」「日本人の楽園」と呼ぶ現地住民もいる

元戦場の上の「日本人の楽園」

  • グアムのタモン湾とハワイのワイキキの違い
    • タモン湾は小さな浜辺で端から端まで歩いて1時間程度
    • リーフが海辺の近くまで迫っているため海の中はごつごつしている
    • ワイキキのビーチのような海水浴には向いていない
    • 赤道に近いタモン湾は日差しが強い
    • 年間の降水量も平均湿度もまったく異なる
    • 共通するのはメディア表現で見る「青い海、白い砂」のイメージのみ
  • にもかかわらず第二のハワイを目指した開発が成功したのはなぜか
    • 1970年代のタモン湾はもはや戦闘地でもなければ米軍基地の島の海岸でもなかった
    • そうした戦争の記憶を埋め立てた上に「日本人の楽園」は作られた
    • こうした記憶の忘却と開発は現在も続いている

観光開発における「三つの波」

  • グアム観光の中身は不変ではなかった
  • 変化の要因
    • 米領グアムと日本の関係
    • 米国と日本の政治経済的状況
    • グローバリゼーションと連動した世界的な観光行動
    • メディアの変容
  • 日本人観光客の変動が観察できる三つの期間
    • 第一の波(1969~1974)
    • 第二の波(1986~1990)
    • 第三の波(1993~1997)
    • こうした三つの波を起こした原動力と影響力を考える際有効な資料はガイドブック

第一の波とポケット型ガイドブック

  • 第一の波が起こる1969年まで
    • グアム訪島者は主に米国人
    • 日本人訪島者は少数派、全体の一割弱。
  • 第一の波(1969~74年)
    • 日本人訪島者は17万人、半数を超える。
    • 団塊の世代の結婚ラッシュと新婚旅行が原動力
  • ポケット型ガイドブック
    • 異なる三つの出版社から、よく似たガイドブック出版される
    • 長辺18センチ×短辺12センチ前後
    • 総ページ200ページに満たない
    • 見所案内と遊行案内で6割を占める誌面構成
    • アクセス情報なし
  • 第一の波とガイドブックの関係
    • 第一の波を起こした新婚旅行客は、大半パックツアー利用
    • パックツアーは自力で出かけたり、探したり、移動する必要なし
    • ポケット型ガイドブックは、旅行必携のメディアではなかった

第二の波と主役の交代

  • 第二の波(1986~90年)
    • 1985年9月プラザ合意が原動力
    • ドル安円高へ。1ドル240円→1ドル120円
    • 海外旅行熱を活性化させた
  • 主役の交代
    • 超円高時代1986年からグアム旅行者急増
    • グアム観光の主役は、新婚旅行客→若者、特に大学生
    • 学校が休みになる8月と3月がグアム旅行の最繁期
    • 若者の個人旅行の急増は、グアムだけの現象ではなかった

『地球の歩き方』シリーズと個人旅行の時代

  • 個人旅行の変容
    • 80年代前半の旅行業登録の規制緩和
    • 秀インターナショナル(HIS)、マップ・インターナショナル等新しい旅行代理店の登場
    • 破格の航空券やスケルトン・ツアーを販売
    • 海外旅行の低廉化に貢献
    • 沖縄や北海道よりも安く行けるグアムのスケルトン・ツアー
    • 近くて安いグアムは、海外旅行の入門地として人気に
  • 観光ガイドブックの変化
    • 食事、移動手段、添乗員が用意されていない格安旅行の増加
    • 何を食べるか何を見るか
    • 詳細な地図とアクセス情報が載ったガイドブックの必要性高まる
  • 『地球の歩き方』シリーズ
    • 1979年創刊、ダイヤモンド社
    • 大学旅行サークルなどで情報を共有するために配布した印刷物が、後の『地球の歩き方』の原型
    • 貧乏旅行を好む個人旅行者のバイブル
    • 海外旅行をマニュアル化し矮小化した元凶という批判も
    • 個人的な体験記事や伝聞情報
  • マニュアル型ガイドブック
    • ロンリー・プラネット社や、1950年代後半『ヨーロッパ一日5ドル』
    • 貧乏旅行の為のマニュアル(交通手段、安い食堂、宿泊所の情報)
  • 『地球の歩き方』グアム上陸
    • 1983年、『地球の歩き方』グアム編の初登場
    • ハンドバックやポケットには入らない程大きい
    • アクセス情報が具体的に記述されている
    • ホテル、レストラン、ショッピング案内などの比較情報
  • 「日本人観光者の轍」
    • 観光者にとっての「グアム」は、ガイドブックの情報がすべて
    • ガイドブックの外側に広がる様々なグアムは意識しない
    • 安くて快適なグアムのための選択肢の提示と同時に、他の膨大な選択肢(可能性)を隠してしまう
    • ガイドブックを持つ観光者が歩く「グアム」が編集される
    • ガイドブックの「グアム」と現地のグアム間でリアリティ循環起こる

第三の波と日本化した海外旅行

  • 第二の波が一段落して90年代に入ると、タモン湾で大規模なホテル再開発がはじまった。有名フランチャイズの名を冠した大型リゾート・ホテルが続々と進出し、老舗のヒルトンも大規模な改修をおこなった。
    • これら新しいホテルには、日本人シェフが自慢の和食レストランが入り、日本製の即席ラーメンや和風弁当など日本と変わらない品揃えが自慢のコンビニエンス・ストアが併設され、日本のテレビ番組が視聴できる客室が用意された
  • こうした「日本化」を急速に進めた90年代のタモン湾には、第二の波に乗って現れた若者層に加えて、若い家族客が目立つようになった
    • 若い家族客とは、二世代核家族か、三世代で海外旅行に出かける、家族単位の団体客である
  • 未知の体験や異文化接触から得られる刺激よりも、日本からの近さ、旅費の安さ、治安の良さを求める傾向にある若い家族客にとって、短期滞在の日本人観光者のために「日本化」したタモン湾は、独特の魅力を持った観光地となった
    • その魅力をいいかえれば、グァム特有の歴史や文化を強調する方向性で再開発せずに、むしろグァムの記憶を埋立て、非個性的な海外リゾート地として再開発をおこなったゆえの魅力であり、それは「日本化した海外旅行」という一見矛盾する行動を可能にした魅力である
      • 旅行嫌い世代が海外に日本を求めるように
  • おそらく「日本化したグァム」を訪れる日本人観光者は、固有の歴史と文化を持つ米領グァムを訪れたいのではなく、ただ海外旅行へ行きたいのだろう
  • そうして「日本化」が進む90年代のホテル再開発を受けて、グァム観光に第三の波が起きた
    • それは第一の波と第二の波のような、外的要因による変動とは異なり、グァム独自の観光開発による結果である
  • 第三の波と連動して、新たなガイドブックも登場した
    • 航空券と宿泊先だけが提供されるスケルトン・ツアーと親和性が高いガイドブックであり、まるでスケルトンの隙間を埋めて、三泊四日の旅を構成するための臓器のような情報で満たされた、ある特徴を持つガイドブックの登場である

「楽園」の新たな中心点

  • 94年にタモン湾の北寄りに建設された大型免税店「DFSギャラリア」が登場し、第三の波の観光開発において決定的な役割を果たした
    • ①主要ホテルから同店舗へ向かうタクシー代金を無料化
    • ②ホテルやショッピング・モールの間を定時運行する無料バスを走行させる
    • ③現地の観光会社が運行する周回バスのターミナルとなる
    • これら観光者の足を提供する新しいサービスは、公共交通機関の未発達なグァムにおいて決定的な影響力をもった
  • 第一の波の時代に建設されたホテル群は、南北に伸びる縦長のタモン湾の南寄りに集中して建てられ、第三の波で現れた大型ホテルはタモン湾の北寄りに集中し、その中心にDFSがある。
    • タモン湾の「日本人の楽園」は中心点を北寄りに移し、新旧のホテル群はDFSが整備した交通網の中に編入された
    • 第三の波になるとDFSを心臓部とする交通網が、タモン湾とその周辺に張りめぐらされたため、バラバラに存在していたホテルや免税店が連結された
    • そうして90年代の「日本人の楽園」は活性化した
    • 一方で、「日本人の楽園」の外部へレンタカーを借りて出かける日本人は減少した
  • DFSが中心点となったのは現実の地理的空間だけではなく、90年代にグァムに登場したガイドブックでも、誌面構成の中心点となった
  • これら90年代のガイドブックは、80年代に上陸した『地球の歩き方』と比較すると薄くて大判で、文字情報よりも写真やイラストなどの視覚情報を多用した構成を持つ
    • 「カタログ型ガイドブック」
  • 『るるぶ』の前史
    • 70年代初め、国鉄の観光促進キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」や、女性誌『an・an』と『non-no』で人気を博した観光特集などが誘引となり、一~二泊の小旅行へ出かける「アンノン族」が出現し、社会現象となった。観光専門誌『旅』は、『an・an』や『non-no』の小旅行特集を模倣して拡充し、若い女性たちの個人旅行を促進することを期待して別冊雑誌『るるぶ』を創刊。
    • 誌名「るるぶ」は、「見る」「食べる」「遊ぶ」という、旅を構成する三大要素の語尾から採られた
  • 『るるぶ』がグァム・サイパン編を出したのは、グァム観光に第三の波が起こる二年前、92年のことだった

「買う」ためのメディアとその特徴

  • 『るるぶ』のガイドブックとしての特徴は、版型と誌面構成の両方にある
    • 『るるぶ』は、版型は『地球の歩き方』の約二倍の大きさで、総ページ数は『地球の歩き方』の半分よりもやや多い
    • 『地球の歩き方』や70年代のポケット型ガイドブックよりも大きな誌面の面積を有している
    • こうした違いにも関わらず、『るるぶ』よりも『地球の歩き方』のほうが圧倒的に情報量が多いという印象を与えるのは、その誌面構成の違いにある
    • 『地球の歩き方』は文字中心で誌面が構成されているのに対し、『るるぶ』では写真やイラストなどの視覚情報を文字で補足している
    • 『るるぶ』は「読む」ガイドブックではなく、「眺める」ガイドブックであり、商品を買うことを中心に据えたカタログなのである
    • 買うためのメディアであるカタログの真価は、厳選された選択肢の中から選ぶことの快楽をいかに読者へ提示できるかである。『るるぶ』の巻頭には欧米の有名ブランドのバッグや時計や宝飾品の広告ページが続く。誌面上で紹介されるモノやサービスには例外なく値段が記され、それらが「買う」対象であることを示している。
    • まるで「買う」ことが「旅する」ことであり、観光の主目的であるかのように、カタログ型ガイドブックは値札が付いた情報ばかりに案内する
    • 2005年版になると、タモン湾に集中する免税店とホテルとレストランの紹介だけで、実に八割近くの誌面が費やされている
  • こうしたカタログ型ガイドブックは、米領グァムを案内するというよりも、半径一キロ程度のタモン湾とその周辺を紹介しているにすぎない
    • しかしそのガイドブックの表紙には、しっかりと「グァム」と書いてある
  • カタログ型ガイドブックの特徴を約言すれば、誌面が更新されるほど、中心になる情報は値札が付いたモノやサービスを紹介する商品化情報ばかりが増加する
  • こうした観光の商品化を推し進める更新の方向性は、カタログ型ガイドブックだけに限った特徴ではなく、90年代後半以降、従来のマニュアル型ガイドブックでも観察できる
    • いまやマニュアル型さえカタログ化しつつある

商品化の陰で消された記憶

  • ここでいう値札の付いた商品化情報とは、モノ(商品)だけでなく、無形サービスの情報、さらには本来は金銭を支払う必要がないモノやサービスにまで値札を付けて、それらを商品化する情報を指す
    • 最後のカテゴリーのうち顕著な例は、グァムで「プライベート・ビーチ」と呼ばれる有料ビーチの存在と、その紹介情報である
    • グァムには公営のパブリック・ビーチも複数ある
    • しかし05年版の『地球の歩き方』でも『るるぶ』でも、複数のプライベート・ビーチが写真付きで紹介される一方、無料のパブリック・ビーチには数ヶ所をまとめて1~2ページほどしか与えられていない
    • カタログ型ガイドブックは無料の公共ビーチよりも有料のプライベート・ビーチを大きく紹介し、また前者を否定的に描写することで、グァムの商品化を積極的に推進している
    • ガイドブックは既成商品の情報を提示するだけでなく、観光地の商品化を後押しし、そうした商品を自ら選ぶことを読者に奨める
    • このような商品化が過度に進むと、商品化と馴染まない歴史や、商品化できない地理の情報が縮減されていく
    • そのなかには「縮む」だけでは留まらず、削られて消滅していった歴史と地理に関する記述もある
    • 他方、95年版から05年版の10年間で消えなかった歴史紹介もある
      • 19世紀以前のスペイン統治時代に関する旧跡
      • 消えたものは「大宮島」に関する記憶と、日本と米国の戦いを想起させる土地
    • ガイドブックというメディアは、「消す記憶」と「残す記憶」を取捨選択し、更新するたびに「グァム」を再編集して再構成していく
    • そうしたガイドブックを持ってグァムを訪れる観光客は、記憶が消されて値札が付いた「グァム」を過ごす

歴史さえ商品化される

  • カタログ型ガイドブックは、ポケット型やマニュアル型よりも誌面の面積を広げたのと反比例して、紹介するグァムの地理的面積を縮めていった
  • そうしたカタログ型ガイドブックを持つ観光者が増えるほど、彼らが経験する「グァム」は縮小していった
  • ガイドブックから消えた歴史のうち、グァム博物館(Guam Museum)の存在と、その「不在」に注目する
    • グァムで唯一の公立博物館
    • 日本語のガイドブックからは存在を消されたが、現在も形を変えて、辛うじて存続している
    • グァムの文化的遺産を保存する目的で、1933年9月に旧刑務所を再利用して開館
    • 「大宮島」時代に破壊され、一度は閉館したが、住民たちの寄付によって54年に再建された
    • もともとスペイン統治時代と、それ以前のチャモロ文化に関する資料を主に収集保存し、展示していた
    • 日本人観光客が増えてくると、72年に「発見」された横井庄一氏が潜伏生活で使用していた物品や、自製した軍服なども展示した
    • その建物は小さく、決して目を引くような展示物ばかりではなかったが、しかしグァム博物館は、スペイン統治以前からそれ以後、アメリカによる領有、日本の「大宮島」統治を経て、現在の米領グァムへと続く島の歴史を、文字通り目に見える形で提示する島で唯一の博物館であり、とくに「大宮島」が戦後も長く続いていた歴史を伝える貴重なメディアだった。
  • 日本語のガイドブックがグァムの商品化を進めつつ、歴史を縮減して消滅させる過程と連動するかのように、グァムでは歴史と文化を伝える公立博物館が閉鎖されたまま、商業地区の道路美化工事が優先されている
    • グァム博物館は、タモン湾にあるグァム最大の複合商業施設である「マイクロネシア・モール」というショッピング・モールの空き店舗を間借し、臨時的に規模を縮小して開館している
  • もはやグァムでは歴史さえ商品化しなければ居場所を与えられないのだろうか

英語圏のガイドブックでは

  • グァムの歴史が消え、その記憶が忘れられようとしているのは、日本語のガイドブックと日本人観光者向けの施設において顕著に見られる方向性であり、グァム現地で流通しているガイドブックや英語圏で出版され世界中で流通しているガイドブックでは、様相はまったく異なる
  • グァム在住のロッツ親子が01年に出版した『グァム・ガイド』では、グァム全島の地域がカラー写真と歴史的背景を交えて詳細に紹介されている
    • 名所旧跡だけでなく、ショッピング・モールや軍の施設まで幅広く案内されている
    • 日本語のカタログ型ガイドブックが削除した南太平洋戦没者慰霊公苑もアサン太平洋戦争国立歴史公園もグァム博物館もしっかりと紹介されている
      • →じゃあグァム博物館の異様な現状を、発信された世界はどう捉えているの?
  • 『グァム・ガイド』はガイドブックが必ずしも商品化するメディアではないことを示す好例
  • グァムで生活する人物が著したガイドブックと、非米国系の英語圏の出版社が刊行するガイドブックでは、「大宮島」や日本と米国の戦いに関する歴史が、今も忘れられずに記述されている
  • 英語圏のガイドブックを持ってグァムを訪問した場合、商品化する日本語のガイドブックを持って行った場合とは異なるグァムの姿が見えてくるだろう
    • 一方のガイドブックでは固有の歴史と文化を持つGuamが紹介されており、他方のガイドブックでは値札が付いた非歴史的な「楽園」が紹介されている
  • ガイドブックは読者が採り得る行動を方向付けるメディア
  • 訪島者の八割は日本人
    • 日本人観光者向けの商品化する「楽園」の轍は多くの資本や人の流れを引き寄せ、その轍を一層強固なものにする一方で、通る人が疎らなGuamの轍は風化しかしないのだろうか
  • ここで問題なのは、「日本人の楽園」とGuamの間のズレではない
  • ズレをお橋渡しする回路がないまま、お互いに無関係な「グァム」とGuamが並存している現状が問題である
  • 忘れてはならないのは、グァムで生活している現地住民の存在である
    • 年間100万もの日本人が訪れる非歴史的な「楽園」の轍は、グァムで生活する人々の目にはどのように見えるのだろうか