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10/06/21/4

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プロジェクト報告

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ICT

・サーバーについて

・ubuntu(os)の活用の仕方

観光まちづくり

・谷根千(谷中、根津、千駄木)フィールドワーク

戦跡があるため日アジと共同で進めていく予定

上野美術館もフィールドコースに検討

7月後半に2年生とも相談して実施予定

トラベルライティング

・JALとANAの機内誌を定期購読。

バックナンバーは図書館に保存される。

グローバルスタンダード

購読と話し合い。

エスニックメディア

月曜の昼休みに実施。

2年生の活動に舛谷先生が参加。 購読スタート

ホームステイ

・マラヤ大学東アジア学科学生23名の受け入れ報告

各家庭の受け入れも大成功

食事などの文化の違いを体験

コーランの所以か猫はOK犬はNG?

まなざし観光

購読順調

国内合宿

7/10~11 武蔵嵐山駅 西口 10時45分集合

女性会館にて卒論テーマ中間発表

購読

2 短い戦闘と長い戦争

「絶対国防圏」の島

1944年8月 大宮島が地図上から消える。日本,大宮島→アメリカ,グアム

B29による猛攻

大宮島がアメリカの手に渡れば、日本本土の爆撃が可能になる。

→以上を防ぐためには、日本は絶対国防圏という防衛エリア定めて、大宮島やサイパンを含む日本占領地を米軍から死守するため兵力増強を試みる。

日本が、開戦直後に米領、グアムに侵攻したのは、日本人が支配していた南洋の真ん中に飛び地のように存在するグアムが日本にとって脅威だった所以

1944年3月4日 満州国から大宮島へ日本軍が送り込まれる

→人口増加による食料、住居の供給の問題

学校網の崩壊後の住民は食糧栽培と軍事施設の建設などの厳しい強制労働を強いられた。

大宮島が日本軍のために造られた飛行場はのちに、米軍の滑走路になり、現在では観光客でにぎわうグアム国際空港になっている。

7月7日 無線交信途絶

7月15日 日本軍による悲惨な虐殺

戦闘はいつ終わったのか

7月21日 米軍の再上陸作戦

8月11日 米領 グアム宣言

20日間の短い戦闘で命を落とした日本兵は約5割。

残りの日本兵は、島内のジャングルに潜伏していた。

→結果的には、日本兵たちは日本が降伏したあとも戦闘を続けていて、自ら降伏して投降するまでは彼らの戦いは終わっていなかった。