→全合計 約9万円(雑費、お土産代別)
※航空券代は払っているので現地に持っていくのは5万円くらい
:グアム観光局ホームページ
:図書館
:二次資源、国際的表示の「BONSAI」
:行きたい人は浜ちゃんか先生に連絡
:1963年パンナム航空が日本ーグアム間空路開通するも乗客ゼロ。それ以前にグアムを訪れていた人々の目的は戦没者の慰霊。
:第二次世界大戦後、自由に旅行できるようになるも、制限多数。しかし慰霊団体は海外旅行へでかけた。
:侵略者である日本人の子孫をチャモロ人はどうみたか?
→グアム住民と日本人が合同し、日本人戦没者の慰霊公苑を建設する計画が浮上。
:米領グアムの三権の長から了承を得る。背景に慰霊観光への期待在り。
:予期せぬ反対運動。グアム住民ではなく米国本土に住む現役軍人によるもの。
:「イスラエルの地にナチの記念碑を建てるに等しい」
:「戦没者慰霊公苑」から「平和祈念塔」に変更、日本人戦没者を慰霊する施設ではなく、米国人戦没者やチャモロ人を含む太平洋戦争の犠牲者すべてを哀悼し、平和を祈念する施設へ
:日本のメディアをグアムへ招待することがグアム観光の始まりにとって不可欠だった。
:メディアにより公共的に「グアム」というイメージが植え付けられた。
:映画の中のグアムは平和で素敵な恋が生まれる南の島であり、今日日本のガイドブックが描き出す「南の楽園グアム」のイメージに通じる。
:戦跡関係はメディアがとりあげない。60年代末に日本のメディアが欲したのは「匿名の楽園」としてのグアムだった。