現地民チャモロ人が4割 フィリピン系の人は英語ができるから観光産業を独占
ここにて大量の電力や水を消費し、他の地域では断水になることも
日本語を教育する学校や日本式の水田、交番、神社などが建てられる
かつての塹壕の上にはホテル、戦犯収容所の跡地には教会とショッピングモール
太平洋戦争後のグアムへの入島は厳しく制限されていた
巨大な米軍基地を抱える、立ち入り禁止の軍事島
忘れたことをさえ忘れてしまうまえに薄れゆくグアムでの戦争の記憶を取り戻すことが目的
しかし米国にとってグアムは敵に占領された唯一の米国領土→日本人が忘れても米国人は忘れなかった
国民学校、青年団などで現地住民に対して日本語、日本習俗、思想を教育
→人は覚えている、統治されていたという歴史を実感
学校には現地住民だけでなく、日本軍や文官の家族も通っていた
食糧も十分で、現地の子どもたちと一緒に遊ぶ
現地女性を慰安婦として紹介し、また日系住民を束ねたグアム在住の日本人が後に戦犯に
「大宮島」における日本人の人口が増えたが、その多くは琉球出身者
近隣の島々から多くのチャモロ人が渡り、朝鮮半島からも大勢の人が強制連行された
日本統治下でも住民の大半がカソリック信者
日系人を含む大宮島の住民に支えられる
日本軍は必死に捜索。米軍の攻撃で追いつめられた日本軍は無実のデュエナス神父を斬首