第三章 記憶と記録- ケータイを巡る期待と不安 「バーチャルな私」と「自己」との関係はどのように変化してくのか
履歴という資産- 最適な環境はユーザーと提供する側にも利益をもたらすものでなければならない。だから、技術の便利さは検討される。ユーザーの履歴情報、行動分析は大事である。その例であるポイントサービスは顧客の囲いこみと顧客の優良化を行い。効果にリピーターを増やしたり、顧客の差別化をはかり、それぞれのニーズを満たす。 レコメンデーションシステム- このシステムの例として「アマゾン」があげられてる。ユーザーにおすすめの情報を自動で教えてくれる。ただ、それがおすすめの認識を変えてしまうかもしれない。
ケータイとパソコンの差- 自動的に他者から表現されたデータの中の「自分らしさ」が自分の存在をしめすような傾向がある。また違った例として、携帯電話は相手と繋がっているために不可欠となっている。携帯は他者への過剰な期待、深いコミュニケートをはかってくれる事を期待するのに対し、パソコン上ではこういった事はない。
「炎上」と「過剰なゼロ期待」- ブログの炎上とはブロガーが精神的、肉体的なダメージを被る事である。ネットには他者への過剰な期待が求められず、「炎上自己責任論」が一部に支持されてる。携帯には「自分を裏切らない」という過剰な期待が、ネットには「容易に裏切る」という過剰なゼロ期待が現れる。この期待は結局デジタルデータとしてのバーチャルなわたしの姿なのである。
「自己物語」はいかに生み出されるか
わたしを持続させるもの- 過去の自分を思い出すのに「自伝的記憶」が重要である。これの生成には特徴があり、自我の形成期、移行期に強く残る。何かを覚えていくということが記憶を構成するための手がかりとなる知識を必要としてる。他には、自伝的記憶は過去の出来事のそのままではなく、時とともに変化し、再構成するという事である。大事な論点は、「わたしはわたしだ」と覚えていることは、思いだされるたびに変化し、意味づけに変わる記憶を維持していることであり「忘却」も必要としてる。「記憶」と「記録」がまったく異なるものであるということだ。